THE YELLOW MONKEYのいた2016年

それは本当に突然だった。

2016年、年が明けて4~5日経ったころ、ネットがざわつき始めた。どうやら「THE YELLOW MONKEYが復活するらしい」。

信じられなくて噂の根源を確認した。ホームページを見て、確証に変わった。

これは間違いなくTHE YELLOW MONKEYだ。彼らが復活するのだ。ホームページではカウントダウンが進んでいた。0になるのは、1月8日午前0時。震えが止まらなかった。


私は1993年に生まれた。一方彼らは2001年に活動を停止している。テレビで歌っているのを見た記憶など全然無いし、名前を微かに知っているかな、程度のものである。

初めてちゃんと認識したのは、「僕らの音楽」という音楽番組でレミオロメンと一緒に「楽園」を歌う吉井和哉を見たときである。当時、レミオロメンのファンだった私は、ボーカルの藤巻亮太さんがガチガチに緊張しながら熱唱しているのをテレビで見た。その時、藤巻さんの前で、あまりにも余裕の表情で歌っているのが吉井さんだった。ニヤっと笑ったり、緊張しまくりの藤巻さんを煽ったりしていた。その姿に、子供ながらにすごく惹きつけられた。しかし子供の興味というのはだいたいすぐに移り変わっていくので、そんなこともすぐに忘れていったように思う。

吉井さんに再会したのは、忘れもしない2011年。大好きなスピッツが主催の夏の恒例イベント「ロックロックこんにちは!」だった。出演者の名前の中に、「吉井和哉」の名があって「あの楽園を歌っていた人だ!」と気づいた。けれども、イベントまでに吉井さんの曲の予習はほとんどしていなかった。

大阪の海辺で開催されたそのイベントは、9月の猛暑とお客さんの熱気でムッとしていたのを覚えている。友人とかき氷を食べたりステージを見たりしながら、トリのスピッツを待っていた。

時間は確か夕刻から夜にかけてだったと思う。吉井さんがステージに現れた。真っ白なシャツに真っ黒なスキニー、茶色に染めた少し長めの髪で、真っ赤なフライングVを持って。

凄まじいオーラと色気だった。姿を見た瞬間に私の心は海風に乗って簡単に吹っ飛んでいった。ロックスターってこういう人のことを言うのだなと思った。佇まいも歌声も何もかもがとにかくかっこよくて、同じ人間とは思えなかったし、こんな人今まで見たことない、と思った。当時大学1回生だった。

予習はしてなかったから曲は全然知らなかったけど、最初から最後までステージに夢中だった。片時も目を離そらすことができずに、吉井さんを必死に追った。最後には酔っぱらった民生さんが出てきてステージで一緒に曲を歌いながらじゃれていた。そのギャップにも振り回された。暑さなんてすっかり忘れていた。

そこからは早かった。当時吉井さんはアルバムツアーを終えて、各地で衣装展をしている最中だった。大阪であった衣装展に行き、そこで行われる抽選制のトークライブも奇跡的に当たった。一番後ろの席だったけど、かっこよさで目が眩んだ。とても背が高かった。確かプレゼントを当てた人がハグされていて、わかりやすく嫉妬したりもした。他にも、例年日本武道館で開催されている年末の恒例ライブがその年はたまたま大阪で開催されるという朗報を知り、申し込んだ。CDも全部借りてきて聞きまくり、動画、雑誌、集められる今と過去の情報はほとんど集めて夢中になった。その後もソロ活動を追い続けた。

THE YELLOW MONKEYとはそんな中で出会った。残念ながら、最初に見た映像は思い出せない。でも「薔薇娼婦麗奈」のライブ映像を初めて見たときの衝撃は忘れられない。打ちのめされた。他のバンド、歌手、ミュージシャンにはない独特の存在感、色気、演奏、曲。何もかもが唯一無二だった。どのMVを見ても、どのライブ映像を見ても、圧倒され続けた。


reina

2013年には、解散のきっかけの一つとなった「パンチドランカー・ツアー」のドキュメンタリー映画が公開された。113本という過酷なツアースケジュールの中で、少しずつ歯車がずれていく彼らの映像があった。私はステージ衣装とメイクで自分たちを着飾った彼らばかりを見てきたけれども、そうではない、ぼろぼろの彼らだった。でも、それすらも、バンドの崩壊の兆しさえも美しく見えた。最後のSO YOUNGで泣いた。これをきっかけに、さらにTHE YELLOW MONKEYの音楽を聴いた。とにかく生で体感したかった。この空間に行ってみたかった。もう20年早く生まれていれば、と何度も思った。


映画『パンドラ ザ・イエロー・モンキー PUNCH DRUNKARD TOUR THE MOVIE』予告編

 

でも、彼らはもういないのだ。彼ら4人が一緒にステージに立って、THE YELLOW MONKEYの曲を演奏することは一生ないのだ。吉井さんのソロを追いながら、一人で彼らの楽曲を歌う吉井さんを見ながら、様々なインタビューやMCを聞きながらそう思っていた。映像や写真でしか彼らを見ることはできない。それでも、夢中だった。日本で一番かっこいい4人組は永遠にTHE YELLOW MONKEYなのだと思っていた。


そんな彼らが突如復活するというのだから、落ち着いてなんていられない。そもそも、復活を理解することすら難しい。急にそんなことを言われても意味不明だ。それに復活したとしても一抹の不安もあった。完全に私の中で、彼らは神だった。神格化してしまっていた。あの時の、私がずっと過去をさかのぼって追いかけてきたTHE YELLOW MONKEYのかっこよさのまま復活するのだろうか。そんなうまくいくのだろうか。自分にとってのロックスターのそうでない姿を見ることになったら、神様だと思っていたものがそうでなくなってしまったら。不安と期待が交互にやってきた。

その日が近づいてくると、ホームページに掲載されているシルエット写真はほとんど鮮明と言っていいほどになっていた。眠れなかった。

1月7日は木曜日、1月8日は金曜日。1月7日の夜はどうやって過ごしたのか覚えていない。吉井さんのアルバム宣伝のためのツイッターアカウントや関連のアカウントが軒並み「これが最後のツイートです」と呟いた。心臓が口から出そうだった。

0時になった瞬間ホームページにアクセスしたけど、なかなか繋がらなかった。結局ナタリーがツイートしたニュースですべてを知った。

再集結。全国アリーナツアー。宣伝映像には聞いたことのない音楽が、間違いなく彼らの新しい曲が、流れていた。


THE YELLOW MONKEY SUPER JAPAN TOUR 2016

のちのアリーナツアーのグッズで販売されていたパンフレットに、情報解禁の瞬間の彼らに密着したDVDがついていた。おい、乾杯してクラッカー鳴らして大画面でツイッターの反応見てやがるぞこの4人のおじさんたち!もちろんその時はそんなことも知らずに、大阪の田舎でスマホを握りしめながら、私は気づけば泣いていた。


そこからは、色んなことがあった。再始動時の宣伝映像のバックで流れていたのは、「ALRIGHT」という新曲だった。
「何よりもここでこうしてることが 奇跡と思うんだ
 命はいつか絶えるだろう だけど最高の出会いが
 月日は流れて 力を集めて
 ひとつに集めて」
こんな直接的な詞があると思わなかった。最高にかっこよくて、私はまた泣いた。


ALRIGHT / THE YELLOW MONKEY

ALRIGHTのMVも公開された。「吉井さん前髪!」ってつっこんだけど、それでもやっぱり圧倒的にかっこよかった。
アリーナツアーのチケット当落発表もあって、ツアー初日から約2か月後の大阪城ホールの2公演、神戸の1公演をとることができた。私がTHE YELLOW MONKEYのライブのチケットを持っているなんて。信じられない。
ツアー初日の代々木第一体育館での公演は1曲目が日本中の色んな場所で、色んな媒体で生中継されることも発表された。主要都市の街頭ビジョンで生中継なんて!日本中をジャックだ。なんてわくわくするんだろう。やっぱロックスターだ。私はどこで見ようか悩んだ。
アリーナツアー1曲目予想をしよう!というイベントが始まった。色んなアーティスト達がHPで予想をしている。多くの人たちがシングル曲などの有名な曲を予想しているなかで、PUFFYの二人が「見てないようで見てる」って予想していたのに笑った。1曲目がそれだったら衝撃だ!
ツアー初日の開演時間に向けてのカウントダウンも始まった。ということは定刻に始まるのか?0になった瞬間どうなるんやろう?どんな風に始まるのか?想像はつきなかった。

ツアー初日、時間休をとって、家に帰ってきた。街頭ビジョンで見るか悩んだけど、LINE LIVEで見ることに決めた。早めに晩御飯を済ませて、パソコンの調子を確認した。ネットは問題なくつながる。LINE LIVEの他番組もきちんと見れる。あとは開演を待つのみ。LINE LIVEでは、イエローモンキーが好きだという方が生中継特番の司会をしていた。ファンで東京にいるのにこんな仕事があるせいで生で見られないなんて地獄のようで気の毒になりながら、その時を待った。

定刻10秒前からは、会場のお客さんのボルテージは最高潮のように感じた。日本中で今同じように画面にかぶりついてる人、街頭ビジョンの前でたたずんでいる人はどれぐらいいるんだろう。考えているうちに0になり、照明が落ちた。

バラ色の日々のリミックスのような音楽が流れてきた。1曲目はバラ色だったか!と思ったら、アニーのカウントから始まったのは「プライマル。」これが1曲目だった。ステージには幕がかかっていて、メンバーのシルエットが映っている。生中継では、幕の後ろにいるメンバーがちらちら見える。吉井さんは金ピカのジャケットを着ている!アイラインだ!大サビで幕が落ちた。アニーがすごい笑顔でドラムを叩いている。ヒーセがゴリゴリのベースを弾いている。エマ様はそこにいるだけで美しい。そして、初めて見る「THE YELLOW MONKEYのロビン」がそこにいた。気づけば1曲目が終わり、2曲目が始まった。生中継は1曲目だけではなかったか?と考えている暇もなかった。吉井さんとの出会いの「楽園」だった。4人がそこにいる。THE YELLOW MONKEYとしてそこにいる。街頭ビジョンを選ばなくてよかった。2016年1月8日以降、一番たくさん泣いた。泣いても泣いても涙が止まらなかった。


セットリストを見ないようにひたすら情報を遮断する日々を経て、ついに大阪城ホール公演初日がやってきた。職場が会場の近くのため、定時ダッシュをキメて会場についた。私は今THE YELLOW MONKEYを見るために大阪城ホールにいる!たくさんのアーティストを見てきた会場だけど、とても神聖な場に思えた。いろんな世代の人がいた。緊張した。中に入ると、定刻に向けたカウントダウンがされていて、緊張が高まった。後ろの席にはエマ狂のマダム、隣の席には30歳ぐらいの男性2人が非常に興奮した状態で座っていた。私もタオルの封を開けたり、お茶を飲んだり、深呼吸をしたり、用意をしながら待った。

1曲目の始まりと同時に涙が出たけど、予想と反してそれ以降はほとんど出なかった。まるで、今まで空白期間なんでなかったかのように、「1年ぶりにツアーするぜ!」ってな具合に、メンバーが音を奏でていた。何なんだこの人たちは?こっちはものすごく意気込んで来たというのに。あまりに自然に、そして圧倒的にかっこよくステージは進んでいった。

吉井さんのソロ公演でもTHE YELLOW MONKEYの曲は演奏されていたけれども、聞こえ方が全然違った。これがバンドなのだなあ。セットリストにはあの「薔薇娼婦麗奈」も入っていてぶったまげた。サックの絡みも初めて生で見ることができた。HOTEL宇宙船での吉井さんとエマちゃんのキックでは悶絶した。悲しきASIAN BOYで電飾が下りてきた時に胸がいっぱいになった。聞きたかった曲がたくさん聞けて本当に嬉しかったけど、でも何より嬉しかったことは、新曲「ALRIGHT」がめちゃくちゃに盛り上がったことだった。過去の名曲だけではない、現在進行形のバンド。あの頃のギラつきは薄れたかもしれないけど、でも、間違いなく私が大好きで憧れ続けたTHE YELLOW MONKEYがそこにいた。


THE YELLOW MONKEY SUPER JAPAN TOUR 2016 -SAITAMA SUPER ARENA 2016.7.10-」ダイジェスト映像


ツアーが終わると、ドラマの主題歌を担当することが発表された。「砂の塔」という曲らしい。そのリリースに合わせて、テレビや雑誌等、メディアラッシュが始まった。彼らのメディアラッシュ!相変わらず「夢のようやなあ」と思いながら追いかけた。雑誌はMUSICAの写真が良かった。アイラインを引いた吉井さんは何歳になっても無敵だ。テレビはどれもよかったけど、やっぱり情熱大陸が心に残っている。4人でご飯を食べながら健康診断の話をしたり、中学生みたいな下ネタで笑ったり。なぜか結構時間を割いてくれたアニーの筋肉トークもとても好き。感動的な場面もあり、何度も見た。たくさんの露出があっても毎回新鮮に「また集まってくれてありがとう」っていう気持ちでいっぱいだった。


砂の塔 / THE YELLOW MONKEY

砂の塔がリリースされてから、ホールツアーが始まった。ツアータイトルは「SUBJECTIVE LATE SHOW」。こんなタイトル、行きたいに決まってる。関西は京都のみ。当たらなかった。ファンクラブトレードで直前まで足掻いたけど当たらなかった。悔しすぎて行きたすぎて、一切の情報を拒否した。今も、ツアーのセットリストもMCもほぼ知らない。2016年の活動にホールツアーはなかったものとして自己処理している。つらい。

12月28日には、日本武道館で恒例の「メカラ・ウロコ27」が開催された。やっぱり仕事は休めず、ありがたいことにライブビューイングがあったので、そちらで参加した。JAMもSPARKも楽園もバラ色の日々もないセットリスト。SECOND CRYを聞けるなんて。Four Seasonsは圧巻だった。「まず僕は壊す 退屈な人生さよなら 君に誰よりもやさしい口づけを アンコールはない 死ねばそれで終わり ストレートに行こうぜ 回り道は嫌い」息ができなかった。テレビで歌ってほしいと思った。どの曲においても圧倒的に唯一無二の詞世界。到底思い浮かばない言葉の並び。緊張感のある佇まい。すべての人に響くとも思ってないし、嫌いな人もいるはずだとも思う。それでも、テレビで歌ってほしい、多くの人に見てほしい、聞いてほしい、この時代にぶつけてほしい曲たちがたくさんあった。

 

 

 

大晦日の今日、紅白歌合戦に出て、彼らの2016年は終わる。年明けに復活を知らせてから、走り続けてきた1年間。去年の大晦日には想像もできなかったような1年間だった。2016年最後に歌う曲は「JAM」。この曲が、日本中に届く。「THE YELLOW MONKEYという国があるならば、この曲はその国の国歌だ」吉井さんが言い切ったこの曲。2016年の年の瀬に、この曲は日本にどのように響くのだろう。私はテレビの前で、その時を待っている。


「夢はだいたい叶いました。なるべく長い時間、この人たちとやれたらいいなと思います。それを楽しんでくれる人がたくさんいたらいいな。(情熱大陸より、「夢はありますか?」と聞かれた吉井さんの答え)」
何度でも言います。おかえり、THE YELLOW MONKEY!最大級の愛と感謝を込めて。

 


JAM - THE YELLOW MONKEY LIVE @ TOKYO DOME, 2001